1841年6月28日、一隻の異国の捕鯨船が鳥島の沖合に錨を降ろした。ジョン・ハヲラン号である。当時、鳥島は、メリケンの鯨捕り仲間では、聖ペテロ島と呼ばれていた。奇しくも、聖ペテロ祭の前日である。 やがて、二隻のボートが降ろされ、この無人島に漕ぎ寄せて行った。海亀を捕えて、船上での食生活を潤そうと考えたのである。ところが、彼らは海亀の代わりに五人の人間を発見したのである。その様子をライマン・ホームズの「航海日誌」は、次のように語っている。彼は平水夫(green hand)で、世界漫遊旅行としゃれこんで、ジョン・ハヲラン号に乗り組んでいたにちがいない。 午後一時、二隻のボートを降ろし、島に海亀を探しに行く。三時、ボートは戻ってきた。五人の中国人か日本人を連れ帰った。難船して、この島に漂着したということだ。泳いでボートに乗り移ってきた。お互いに、身振り手振りでしか、相手の言うことが理解できない。島に衣類と数個の箱を残してきたと言っているようだ。海岸には、一隻(二隻であろうか)の中国風帆船の残骸があった。 一隻のボートを島にやって、彼らの衣類をとってきた。40ガロン入りの樽が一つ、難破船の残骸の傍に置いてあった。船は10-15トン位だろう。彼らをサンドウイッチ諸島(ハワイ)へ連れて行く手配をした。 つづく |