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CIE財団紹介

Foundation Profile

ジョン万次郎とホイットフィールド船長の友情が築いた「草の根交流」の原点

文化、精神との出合い

1841年、遭難して太平洋の孤島に漂着した5人の日本人漁師が、アメリカの捕鯨船によって助けられました。その中に、万次郎という14歳の少年がいました。聡明で気立てのよい万次郎は、すぐにアメリカ人の乗組員たちの間で人気者になりました。万次郎は彼らから「ジョン・マン」というニックネームをもらい、彼らと一緒にマサチューセッツ州のフェアヘイブンに渡り、アメリカの教育を受けました。万次郎は捕鯨船の船長だったウィリアム・H・ホイットフィールド船長に世話をしてもらいながら、英語や科学や航海術を学んだだけでなく、自由、民主主義、寛容の精神等、アメリカの文化・価値観を学びました。

幕末の日本

当時、日本は徳川幕府の政権下で鎖国体制を敷いており、国外へ出ることは死刑に値する重罪でした。しかし万次郎は、ホイットフィールド船長やフェアヘイブンでの生活を通して享受したアメリカの文明と精神を日本に伝えたい、という熱い思いから、10年間のアメリカ生活の後、日本への帰国を決意しました。万次郎が帰国して間もなく、ペリー提督が来航し開国を要求、鎖国時代は終焉を迎えました。この時、万次郎は、日本の開国及びその後のアメリカの技術や文化の紹介に重要な役割を果たしました。

受け継がれて行く学びの心

175年以上経った今なお、ジョン万次郎とホイットフィールド船長の友情は、その子孫の代まで引き継がれています。毎年ホイットフィールド家と中濱家は、CIEが主催する草の根交流サミット大会で、草の根交流の可能性と意義の大きさを私たちに伝え続けています。

ジョン・マンの(日本への)帰国は、アメリカ最初の大使を日本に送ったことに等しい。なぜならば、ジョン・マンが我が国の本当の姿を当時の日本首脳部に理解させていたからこそ、我々の使節ペリーは、友好的な扱いを受けることができたのである。

アメリカ合衆国第30代大統領 カルビン・クーリッジ(1923−1929)