公益財団法人ジョン万次郎ホイットフィールド記念 国際草の根交流センター
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理事長ご挨拶

先の大戦終結から70年の節目の年である2015年は、先行き不安を感じさせる幕開けとなりました。これまでになく不安定で不透明な国際社会。深刻さを増すテロリズムや山積する地球規模の課題の前で、我々は身を守るために、内向きになりがちですが,自信を持って未来を切り拓くため、これまで以上に人類の叡智が問われていることを実感します。

このような時代だからこそ、国境を越えて人間同士の友情や信頼を築く努力を推し進めることが大切です。異なった社会に住む人間同士が交流し、相互理解を深めることの今日的意義は計り知れません。とりわけ、これまで長きにわたり交流を積み重ねてきた日本人とアメリカ人の信頼関係は、日米両国にとって、かけがえのない財産であり、国際社会の将来に向けての価値ある公共財です。

私はこの度、公益財団法人国際草の根交流センターの理事長に就任いたしました。外務省時代には、米国での三回の勤務を含め、様々な場面で日米交流の実務に携わってまいりましたが、その経験を通じ、日本人とアメリカ人は相互理解を深めるのに最もふさわしい相手であることを確信しております。1841年にジョン万次郎とホイットフィールド船長とが出会ったとの史実は「センター」の活動に大変な重みを与えています。以来日米両国は、様々な試練に遭遇してまいりましたが、その都度困難を乗り越え、今や価値観を共有し、強固な信頼関係を築き上げるに至りました。理事長に就任したこの機会に、日米交流のかけがえのない価値に改めて思いを致し、日米国民間の相互理解が更に深まることを念じ、「センター」の活動のさらなる発展に力を尽くす覚悟です。


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ジョン万次郎の紹介
The friendship between John Manjiro and  Captain Whitfield marks the beginning of  Japan-America grassroots exchange

1841年、遭難して太平洋の孤島に漂着した5人の日本人漁師が、アメリカの捕鯨船によって助けられました。その中に、万次郎という14歳の少年がいました。聡明で気立てのよい万次郎は、すぐにアメリカ人の乗組員たちの間で人気者になりました。万次郎は彼らから「ジョン・マン」というニックネームをもらい、彼らと一緒にマサチューセッツ州のフェアヘイブンに渡り、アメリカの教育を受けました。万次郎は捕鯨船の船長だったウィリアム・H・ホイットフィールド船長に世話をしてもらいながら、英語や科学や航海術を学んだだけでなく、自由、民主主義、寛容の精神等、アメリカの文化・価値観を学びました。
当時、日本は徳川幕府の政権下で鎖国体制を敷いており、国外へ出ることは死刑に値する重罪でした。しかし万次郎は、ホイットフィールド船長やフェアヘイブンでの生活を通して享受したアメリカの文明と精神を日本に伝えたい、という熱い思いから、10年間のアメリカ生活の後、日本への帰国を決意しました。万次郎が帰国して間もなく、ペリー提督が来航し開国を要求、鎖国時代は終焉を迎えました。この時、万次郎は、日本の開国及びその後のアメリカ技術文化の紹介に重要な役割を果たしました。
170年以上経った今なお、ジョン万次郎とホイットフィールド船長の友情は、その子孫の代まで引き継がれています。毎年ホイットフィールド家と中濱家は、CIEが主催する草の根交流サミット大会で、草の根交流の可能性と意義の大きさを私たちに伝え続けています。

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